■彼は私の手をとりこう言った

「この前の続きをしよう。」

あのずるい、口元を少し歪めて彼は微笑む。
私は、今にも変わりそうな信号も、肩がぶつかりそうな人並みも無かったかのように、彼の瞳を一直線に見つめる。

「この前の続きって?」

真っ直ぐに視線がぶつかり、最初にそらしたのは彼だった。
しかし、嬉しそうに彼ははにかむ。

「この前、手をつないでた。」
「それから?」
「カクテルを飲ませてあげた。」
「そうだった?」

「そして、抱き合って踊った。」
「どんな風に?」

彼は、私の肩を抱いて引き寄せた。
長い髪が彼のジャケットにからみつく。

「やっぱり、あなただ。」
「私をよんだのはあなたでしょう?」

横断歩道を渡りきると、ふたたび手に取った指先を彼はいとおしそうに両手を包んだ。
「待たしたね。ごめんね。」
子供をあやすように優しく言う。
「もう会えないかと半分諦めていたんだ。」口を尖らせて、瞳を伏せる彼を可愛いと思った。
閉店したMAXMARAの店先で、私たちはしばらく立ち止まり、再開までの時間を思った。

前に会ったのは3週間前のクリスマスイベント。
まだ3週間しかたっていない。
新年が明けてしまうと、その3週間は特別長いものに感じられた。
実際、私には恋人が出来たし、彼にもなにか特別な意味を持つ新年だったかもしれない。

まじまじと、彼を眺める私に、照れたように彼は目を合わさず、歩き出した。
つながれた手は、さっきよりも熱く握り返された。

いい男と、1対1のときは、必ず相手をぶしつけなほど眺める。
そうやって相手が照れる瞬間が悪趣味だとわかっていても一番好きだ。

そして、こういう。

「あなた。やっぱり綺麗ね。」

彼は笑う。

「やっぱりあなただ。」

どうやら前回もそういったらしい。

■お互い初めて知ったこと

落ち着いた、薄暗い店内で食事をした。
私はビールを4杯。彼は3杯。

食事よりも彼を眺めながら飲むビールの美味しいこと。

「結婚してるよ。もう5年目かな。」
だからどうなの?と言わんばかりに目を輝かせた。
「そういう人嫌い?」
頬杖をついて、彼は笑う。

「どちらでもいいわ。」
ありきたりな質問に、多少辟易とした。
悲しそうに目を伏せて、それから気を取り直したように、大丈夫と笑って見せた。

そうすれば、たいていの場合つまらないやり取りはそれ以上は続かない。
彼は少し申し訳なさそうに視線をはずした。

しばらく無言でグラスを弄んだ。
目が合うと、飛び切り冷たい美貌を持った男が優しい目をしてゆっくりと頬をゆるます。

どんな話をするわけではなく、視線をからませるだけで、なにか心の片隅が、ちょっと引っかかるようなヒリヒリする痛みが走る。
その感じがとても面白くて、魅力的で、自虐的な喜びを感じた。

絶対自分のものにはならない男なのに、いつも私を求めていてくれるような錯覚。

それは相手も感じていることには違いは無かった。

冷たい表情の男が、優しい眼でこちらを見ている。
今までの孤独も、運命も、喜びもいつくしむかのようだった。

「どうしても。魅かれています。」

小さな声で彼が言った。

嬉しさのあまり、その声を打ち消すように、店を出ましょうと私はコートを手に取った。

店を出て、すぐに彼は私の手をとった。
しばらく無言で歩いて、ビルの陰でその手を強く引き寄せた。
シャネルの香水の香りが冷たいビルの隙間にこぼれる。
「帰らないで」
彼の髪を撫で、私は切なくなる。
甘い、シャネルの香りが、彼の香りで忘れえぬ記憶になる。
「いい香り。」
「シャネルだよ。」
顔を見合わせ彼は笑う。
声もあの人に似ている。

「あなたの香り素敵ね。」
「違う、もうこれはサクラの香りだ。」

抱き寄せて唇が背の高い彼から降りてくる。
私は受け止めきれずに、首筋をそらせる。
唇は首筋に降りてきて耳の片隅をくすぐる。

ゆっくりと、手馴れた、そして時々遠慮意味に。
「もう、帰れないよ」
キスの隙間に、ため息を漏らす。
「一番いい部屋を用意するよ。」
「続きはそこで?」

「ゆっくり抱いてあげる」

全てがどうでも良くなるような、そう言われる為に女でいたんだと再確認をする。

いい男過ぎて今夜だけで手放してしまわなければならない人。
それはもう、最高だ。

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