■時よとまれ君は美しい
昭和最後の日本人美徳がいかされた宣伝文句ではなかろうか?

時よとまれ君は美しい
このフレーズが思いのほか滲みる。

滲みて、あいつに電話してみた。
あいつでは申し訳ない。
師匠。

彼人は男版ピアノの先生。
チビっこだけど。中学のときの一年先輩のヤんキーだ。
ヤンキーの癖に成績がよく、「お前、普通に学校行ってたら450くらい普通に取れるだろ」と、豪語し、世の中にはこういう脳の有効利用してる馬鹿がいるんだと、教えてくれた敬愛すべき兄貴。

なんとなく電話してみた。
3年ぶり。
電話番号は変わっていなかったが、しらねーあいだに彼は2児の父となっていた。

彼が結婚してから新居にお邪魔してそのあと、連絡を取らなくなった。
時代が変わったことに気づきたくなかったのだ。

時代が移ったんだと、知らなければいけないのに知りたくなかった。いや、24歳の私にはまだ早すぎたのだ。
逝き急いだのに早すぎた。
矛盾している。少しだけ、少しだけ普通の背負うもののない20代でいる時間がほしかった。

28歳になって、「もう十分しっているんでしょう。知っていたんでしょう?」変わったのよ。移り変わったの。そう言ったのはあの人。さっちゃん。

何もかも変わってしまう。
彼人に、さっちゃんが隠れたことを言った。
しってほしかったのは君だったんだよと言った。

彼人と知り合ったのはさっちゃんと部活の帰りに寄った、ヤンキーの溜り場だった。
珍しく怖い上級生がいないので、そこでたこ焼きを頼んだ。
そしたら、怖い上級生が「まいどあり〜」と2階から降りてきて、私とさっちゃんに美味しいたこ焼きを焼いてくれた。
それが、彼人とのエピソード。
私たちは彼の部屋で何回飲んだだろう。
何回小突き合っただろう。
何回不甲斐ない私を説教しただろう。

腹が立つほど、輝かしい。
あの頃は、「駄目だなーあたしたち」とタバコを吸い、バドワイザーを呑んで笑った。
今は、
「駄目だなー。」といいながら、一人でも高い酒を飲み、きちんと仕事をし、そしてタバコを吸う。

高々、3年・4年の楽しい出来事。暇つぶしに遊んでいた3・4年。
あとで私は唇をかみ締め、血が出るほどかみ締めあの頃が愛しいと泣く。

あんなのを青春っつー言い方するなんて、どんなに安っぽいか判っている。
でも、それがそういうのだろう。
煙と酒とくだらない話。
きっかけに過ぎない。
あの時間があったら、もっと素晴らしいことが、あの仲間たちとできた。
どんな素晴らしいことかなんて忘れた。たぶん、自分が味わったいい事をそれぞれ思い思いにばかばかしく話をして酒飲んで笑った。
これで良かったんだ。

彼人はさっちゃんの訃報を伝えると真っ先にこういった。

「やばいな。背負っちゃったよ。」

私が聞きたかったのは、こういう言葉だった。
彼人の尊敬する部分は日本語をたくみに操る所。

彼人ならどういうのだろう。と好奇心もあった。・
ピアノの先生はもっと深い。

「あの子生きることに疲れているようにみえたよ」

今思えば酷い言葉かも知れないが、あの日私はその言葉を聴いて笑顔を見せた。
気が楽になったんだ。
当然のごとく、「死にたくない」と手を合わせていたさっちゃんの姿を聞いて倒れるように泣いた。
好子に伝えると「当たり前だばかやろう!」と罵倒された。

でも先生が言ってくれた「疲れてた」発言は、確かに現実を受け入れることのできない私にはありがたかったのだ。
その言葉が聴きたい言葉第1位だとすれば、彼人がいう「背負っちゃった」は2位。

背負って。
背負って。そして生きていく。

変わらないもの。
「時よとまれ、君は美しい」

美しい。
美しいだけじゃ生きていけないから、生きているものは美しい。

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